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オオモノヌシ(大物主)

更新日:2022年5月7日



光雲神社の末社荒津神社にお祀りされているオオモノヌシは、大和国豪族の三輪氏(大神氏、大三輪氏、神氏)の祖神であり御諸山(三輪山)の上に祀られる神で、本当の姿は蛇神であるともいわれます。


大神神社(奈良県桜井市)の由緒では、オオクニヌシが自らの和魂(にぎみたま)と幸魂(さちみたま)をオオモノヌシとして三諸山に祀ったとされ、オオクニヌシの国造りを助けた神であると同時に同一の神でもあります。



  目次




記紀神話において

『日本書紀』においてオオモノヌシは、オオクニヌシ(オオナムチ)の荒魂(あらみたま)に対する和魂、幸魂であり、『古事記』では初代天皇の神武天皇(じんむてんのう)の皇后ヒメタタライスズヒメノミコト(ヒメタタライスケヨリヒメ)の父とされます。


つまり、2代綏靖天皇(すいぜいてんのう)の外祖父にあたり、皇統に繋がる尊い神として三輪山で篤く信仰され続けてきましたが、前述の通り蛇神である点をみても国津神の代表的な存在であるといえます。


『古事記』によると、美しいセヤダタラヒメを気に入ったオオモノヌシは、赤い丹塗り矢に姿を変え、セヤダタラヒメが厠で用を足しに来る頃を見計らって川の上流から流れて行き、彼女の下を流れていく時にホト(陰所)を突きました。


セヤダタラヒメは飛び上がるように驚きましたが、その不思議な矢を自分の部屋に持ち帰ると矢が麗しい男神オオモノヌシの姿になり、二人は結ばれることに。


この時に生まれた娘がホトタタライススキヒメ(富登多多良伊須須岐比売命)であり、後に「ほと」を嫌いヒメタタライスケヨリヒメと名を変え、初代神武天皇の后となりました。


『日本書紀』ではミホツヒメ(三穂津姫)を妻としていますが、事績はコトシロヌシ(事代主神)のものとなっていて、オオクニヌシの御子神コトシロヌシとも深い関係性が見て取れます。


このコトシロヌシも出雲の神でありながら宮中八神に列する皇統守護の神である事をみても、オオモノヌシ、コトシロヌシの出雲系の二柱の神が皇室とのつながりを窺わせているのは大変興味深い点です。




疫病の流行とオオモノヌシ

しばらく時代が進んで第10代崇神(すじん)天皇の時代に、疫病が大流行し民が悉く亡くなる国家存続の危機が訪れました。


そんな国難の時、天皇の夢にオオモノヌシが現れます。


「これは我が御心ぞ。オオタタネコ(意富多多泥古/大田田根子)をもちて、我が御魂を祭らしむれば、神の気起こらず、国安らかに平らぎなむ」


このようにオオモノヌシが告げたので、崇神天皇はオオタタネコを早速捜し出し三輪山で祭祀を行わせたところ、天変地異も疫病も収まったとされます。


重要人物となったオオタタネコの孫・大三輪大友主(おおみわのおおともぬし)が三輪氏(大神氏、神氏)の祖であり、鴨君(のちの賀茂朝臣氏)の祖でもありますが、この逸話が物語っているのは、崇神天皇の時代まで皇室祭祀においてオオモノヌシを重要視していなかったということでしょう。


また、オオタタネコはオオモノヌシの五世孫といわれ、三輪氏はもちろん加茂氏の祖でありますが、オオカモヅミノミコト(大鴨積命)は鴨の地に祖神としてコトシロヌシを祀った鴨都波神社(奈良県御所市)を建てたことから、「鴨君」(かものきみ)の姓を賜与されたので、オオモノヌシとコトシロヌシは共に加茂氏の祖神であるという共通点が浮かび上がります。


このことは『日本書紀』や『先代旧事本紀』においてもコトシロヌシの子孫が三輪氏であると記載され、オオモノヌシ=コトシロヌシを裏付けるものといえます。


なお、現在鴨にある高鴨神社(奈良県御所市)の祭神であるアヂスキタカヒコネ(阿遅志貴高日子根命(迦毛之大御神))やツミハヤエコトシロヌシ(積羽八重事代主命)も、鴨氏の祖神であるとされています。


オオモノヌシと習合した神様は他にも金毘羅神が有名で、金刀比羅宮(香川県仲多度郡琴平町)の由緒についてはいくつかの説がありますが、オオモノヌシが象頭山に行宮を営んだ跡を祭った琴平神社がはじまりとされているため、金毘羅権現をお祀りしていた金毘羅宮、金毘羅神社などでは明治期の廃仏毀釈によってオオモノヌシをお祀りするようになりました。



ヤマトトトヒモモソヒメとの婚約

ヤマトトトヒモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫)とオオモノヌシとの関係が『日本書紀』に記されています。

崇神天皇7年2月15日条では「国中で災害が多いので天皇が八百万の神々を神浅茅原(かんあさじはら)に集めて占うと、オオモノヌシがモモソヒメに神憑り、オオモノヌシを祀るように告げた」と書かれています。 ※ヤマトトトヒモモソヒメは7代孝霊天皇の娘で皇女である説や、10代崇神天皇の時代の巫女という説があります。


三輪山・箸墓伝説に残るモモソヒメとオオモノヌシの婚約の話があります。


このモモソヒメは、結婚したにもかかわらず、真夜中の顔が良く見えないときにしかこないオオモノヌシの顔を見てみたいと伝えます。


オオモノヌシは「絶対に驚かないことを約束するなら」と言い、姫の櫛の箱の中にいるから空けなさいと言いました。


モモソヒメは「驚かないこと」を念を押されましたが、箱を懸けると、なんと中に小さな蛇が入っており悲鳴を上げ驚いてしまいます。


オオモノヌシはその蛇の姿からすぐに男性の姿に戻り、「約束を破ったからにはこれからは会うことはできない」と言い三輪山に帰ってしまいました。


モモソヒメがこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いてヒメは死んでしまい、大市に葬られました。


この物語は、三輪山の麓の箸墓古墳の由来とされ、時の人はこの墓を「箸墓」と呼び、昼は人が墓を作り、夜は神が作ったと伝え、また墓には大坂山(現・奈良県香芝市西部の丘陵)の石が築造のため運ばれたと伝わります。


この他にもオオモノヌシが蛇に姿を変える話は存在し、蛇神信仰につながるのです。



ニギハヤヒとオオモノヌシ

記紀神話において神武天皇と敵対したニギハヤヒ(饒速日命)ですが、このニギヒヤヒとオオモノヌシが同一の神ともされる点は興味深いです。


ニギハヤヒは、様々な文献の中で高貴な地位を持った神であるとされていますが、その存在の真意は謎に包まれていて、出雲の王朝の出とされたり、現在の天皇家とは違う近畿地方の王族であっともされます。


一説にはオオクニヌシの子として、出雲から大和(奈良)に出征をしたともされ、この点を重要視し、大和の地に大きな影響力を持っていたオオモノヌシとニギハヤヒは同一ではないか?と推論をした学者もいました。




オオモノヌシの系譜



【神格】

酒造りの神

国土開拓神

疫病除け

皇室の守護神

稲作豊穣

薬の神

山の神



【別名】

美和大物主大神(みわのおおものぬしのおおかみ)

大穴牟遅神/大名持神/大汝神(おおなむちのかみ)

大国主神(おおくにぬしのかみ)

大物主命(おおものぬしのみこと)

八千矛神/八千戈神(やちほこのかみ)

葦原色許男神/葦原醜男神(あしわらしこをのかみ)

顕国玉神/宇都志国玉神(うつしくにたまのかみ)

国作大己貴命(くにつくりのおおあなむちのみこと)

所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)

所造天下大穴持命(あめのしたつくらししおおなもちのみこと)



【お祀りする神社】

大神神社 (奈良県桜井市)

美和神社 (群馬県桐生市宮本町)

美和神社 (山梨県笛吹市御坂町)

美和神社 (長野県長野市)

三輪神社 (愛知県名古屋市中区)

美和神社 (岡山県瀬戸内市長船町東須恵)

美和神社 (岡山県瀬戸内市長船町福里)

三輪神社 (石川県河北郡津幡町)

三輪神社 (岐阜県岐阜市三輪)

三輪神社 (岐阜県揖斐川町)

三輪神社 (大阪府高槻市)

金刀比羅宮 (香川県仲多度郡琴平町)

光雲神社境内荒津神社 (福岡県福岡市中央区)

村屋坐弥冨都比売神社(奈良県磯城郡田原本町)

三和神社 (栃木県那須郡那珂川町)

大神神社 (栃木県栃木市)

大神神社 (栃木県大田原市大神)

大神神社 (愛知県一宮市花池)

大神神社 (愛知県一宮市大和町於保郷中)

大神神社 (愛知県一宮市大和町宮地花池高見)

大神神社 (岐阜県大垣市)

大神神社 (岐阜県揖斐郡池田町萩原)

大神神社 (三重県伊賀市小田町)

大神神社 (岡山県岡山市中区)

神神社 (岡山県総社市八代宮山)

大神神社 (福岡県福岡市東区高美台)

大神神社 (福岡県福岡市東区和白丘)

二荒山神社 (栃木県宇都宮市馬場通り)

神神社 (静岡県藤枝市岡部町三輪字杉本)

大神社跡 (三重県松阪市深長町)

金刀比羅神社 (長崎県壱岐市芦辺町)

事比良神社 (奈良県桜井市大字三輪)

金毘羅神社 (山口県山口市香山町)

他全国の神社






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