光雲神社では来年(令和五年)に黒田長政公四百年祭を催行いたします。
さかのぼること今から百年前の大正十一年(1922年)に「長政公三百年祭」が盛大に行われたことが当時の福岡日日新聞(現在の西日本新聞社)に掲載されています。
『咲き初むる花に輝く光雲宮 黒田長政公三百年祭 今三日午前博多神幸を振出に福岡全市に亘る七日間の大賑ひ。旧福岡藩祖黒田長政公三百年祭はいよいよ今三日から七日間にわたり福岡市において華々しく挙行されている。九州の一角筑前に藩祖の入国以来実に三百有余の星霜を閲し一世の勇将として後世に渇業されここに今回の祈年祭を重ねて古英雄の面目を躍如たらしむものがある。黒田侯爵家一門に於ては過般来下県して之が準備を成し三日間の祭典前後に亘って、或いは御神幸に或いは大遊園会に福岡の天地は三春の花と同時に将に湧き返らんとする盛観を見んとしている』
福岡日日新聞の大正十一年四月三日のこの記事には、黒田長成侯爵の寄稿文、明治の政治家金子堅太郎氏の談話などがありますが、ほぼ一面を使い光雲神社が所有していた多くの宝物の写真が掲載されており、大変貴重な資料となっています。
(左:黒田長政像 中:社宝の一谷の兜、歯前立兜、合子形兜、家康公からの感状
右:水牛の兜と冑及び家康公から拝領の采配)
光雲神社で所有していた主な宝物
黒田如水像
黒田長政像
黒漆塗大水牛脇立桃形兜
一谷の兜
金歯朶前立黒漆塗南蛮兜
合子の御冑
徳川家康公より拝領の采配
徳川家康公よりの感状
その他、多数の古文書など、これらの宝物は昭和二十年六月十九日の米軍による空襲(福岡大空襲)により社殿を含め全て悉く焼失し、現存するものは残念ながらありません。
その後、多くの方のご尽力により昭和四十一年に光雲神社の社殿は現在の形で再建されました。
国宝を含む歴史的に貴重な武具や絵画等の文化財を失ったことは誠に惜しまれます。
(黒田如水像)
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